今日は最高にポエミーな気分なので、
未来の自分に宛てたメッセージを書き連ねようと思う。
どうも、私です。
年も明けて1ヶ月が経ち、2月。
私はいかがお過ごしでしょうか。
ちゃんとご飯は食べていますか?
ちゃんと睡眠は取っていますか?
ちゃんと毎日を生きていますか?
今のあなたには聞きたいことばかりがあります。
でもまぁそれは、おいおい聞くとして。
まずは私の話をしましょう。
2月というのは、私にとっては結構冷め期で。
というのも、嵐なんかよりもプライベートな事でやらなければいけない事が盛り沢山な2月は、嵐の事など考える余裕などなく。
今までなんとなく、「この時期になるとなんか嵐追えないなぁ」と思ってきました。
そんな「冷め期」というのが、まぁ、久々に訪れて。
「え、なんで久々にこんなの来てるんだろ…」と内心戸惑いましたが、
思い返してみれば、私にとっての昨年の今頃はこんな事を考える余裕もないくらい、とにかくその時目の前にあった彼らに必死で、もうどうしていいかも分からず、訳も分からない、五里霧中な日々に居たせいで、冷め期どころじゃなかったんだった。と気付きました。
あれから1年が経ってしまいました。
1年っていうのはあっという間ですね。
いまこれを読んでいる私も、きっと同じ心境なんだろうな。
1年前の私は、本当に毎日泣いてばかりで。
泣いてばかりかと思ったら突然泣き止んで。
どうしたかと思えばまた突然泣き出して。
とにかくいつ泣き出すか分からない、バイト仲間の中では超要注意人物となっていたことです。
あの日を境に未来の事を考える力を失いました。
就職活動の中で
「あれ、自分って2年後どうなってたいんだろう」
頭の中でいっぱい思い描いてたはずの未来が突然見えなくなり、
見える未来は「来年の今頃コンサートがあったら新社会人なりたての私はどうなるんだろう」と心配ばかり。
なんにも見えないなら、いっその事、見えるようになるまで何もせずにいよう。
そう思って、就職活動を辞めましたね。
その決断は果たして間違っていたでしょうか。
ちゃんと未来が見えていますか?
ここでは、あれから3ヶ月の時が経とうとしています。
満員電車にもう長いこと揺られていたあの時。
ドドドド、突然満員電車の中にいた沢山の人が降りていきました。
少しだったかもしれない。
でも、私が乗っていた電車はとにかく満員だったから、多くの人が、とある駅でドドドド、っと降りていく様を私は見ていました。
その波に呑まれて、私も下車させられそうになりながらも、なんとか持ちこたえて。
何人かの見知った顔が、その満員の波に呑まれて降りていく様も見てきました。
手を差し伸べるべきかも考えました。
でも、満員の電車内での下車ラッシュの波の中、
その子の手を差し伸べるとしても、
握ったその子がきっと波に呑まれながら掴んでも、
きっと痛いだろうから。
降りたくないのに降りざる追えない、引っ張られる手もきっと痛いだろう。
結局、手を差し伸べることは出来ませんでした。
手を、差し伸べるべきだったでしょうか?
というかあの時、どう手を差し伸べれば良かったのでしょうか?
扉に挟まってる人も居ました。
開きっぱなしの扉もありました。
そんな状態なのに、列車はぐんぐんスピードを上げて先へ進みます。
とても惨い情景でした。
12月。
個人的には良い1ヶ月でした。
「あーーー、あの時呑まれなくて良かった」
「乗っててよかった」
そんなことを思いながら空いていた座席に座り、
そっと胸を撫で下ろしていました。
1月。
またもや電車を降りる者がいました。
それは以前見た惨いものではなく、静かに、私の隣にに座っていた人間が1人、また1人と立ち上がり、降りていく。
私はその様子を見て、この電車は一体どこへ向かっているのだっけ………と進んできた道を振り返り、先を見てみましたが、この先がどうなっているかは分からず。
車掌室の扉をトントン、と叩いたりもしてみました。
届かないかもしれない言葉もその扉に壁打ちしたりもしました。
そんな時、新しい路線が開通されたとのアナウンスが流れてきました。
以前扉に挟まれてしまった母はボロボロになりながら、
なんとなく、そのアナウンスに耳を傾けていました。
今までもその路線開通のアナウンスは流れていたはずなのに、耳を傾けることの無かった母が、今になってその案内の情報を聞いている。
私は背中を押すべきでしょうか。
「乗り換えなよ」「その方がきっと幸せかもしれない」
その言葉を言うことは出来ましたか?
隣にいるその人は今、幸せそうですか?
2月。
車掌からのアナウンスはないけど、
どうも外の雲行きが怪しい。
車掌のアナウンス通りの道に進めるかどうか……
行先不安定な今に不安を抱えています。
ちゃんとやりたいことはやれましたか?
行先は、素敵なものとなりましたか?
以前、私が愛する人は言いました。
「途中乗車大歓迎です」
と。
じゃあ、「途中下車」は何を意味するんだろう。
私が今乗るこの電車は、最終的にとある駅に止まることが約束されています。
そこは、終電でしょうか。
それとも快特列車から普通列車に乗り換えるための駅でしょうか。
車掌は何も言いません。
ガタンゴトン、ガタンゴトン
私はその駅の正体も知らず、ただ電車の中で揺られるばかり。
「幸せってなんだろう?」
「”笑顔”溢れること」
そんな言葉も愛する人は残していました。
2020年12月31日を迎えた今の私は、
幸せですか?
笑顔で過ごせていますか?
毎日酒を煽る代わりにレットブルを煽ってはいませんか?
ちゃんと眠れていますか?
しっかりと食べてますか?
ちゃんと仕事ができていますか?
夢はありますか?
やりたいことは見つかりましたか?
あなたの好きな人たちはいまどうしていますか?
あなたの愛する人たちはいまどうしていますか?
宝箱はちゃん閉じられていますか?
「今」を生き抜くことは出来ていますか?
「全て」を失っているかもしれないあなたの事を思うと、不安で仕方がありません。
今、私があなたに言えることがあるとしたら、
ちゃんと後悔せずに生きてこれましたか?
これからも、後悔だけはせずにどうか生き続けてください。
貴方が降りた駅はどんな駅ですか?