日々是気付

推してる対象によって人格が違う

心は新規の自担10年選手ヲタクになりました

 

 

 

 

心はまだまだ新規ヲタクな私が

自担のヲタクを開店してから10年を迎えてしまいました。

 

 

 

いまだに自担のことはよく分からないことだからけ。

先々月くらいに番組で行われていた自担クイズに至っては裏を取りすぎて正解数はゼロ。

そんな私ですが、自担を推して10年が経とうとしています。

 

 

 

今日はその10年を祝して

私の思い出話を繰り広げたいと思います。

どっかの誰かさんに似て、記念日大好きヲタク!!!

 

 

 

私が私に送る、私の為のヲタク備忘録

 

 

 

 

 

 

ヲタクといえば、

「あの時やってたあの番組を見て」

「あの映画を見て」

という感じでそれぞれの自担と出会い、興味を持ち、ファンになり、そしてズブズブのヲタク沼に嵌るものです。

 

 

 

 

残念なことに、私と自担にはそういうきっかけがなく。

本当に気が付いたら自担のヲタクとして着地していました。

 

 

どうしてもきっかけらしいきっかけを挙げるとなると

 

思い返すこと10年前

 

 

当時葉担だった私は、二宮担の母と共に「ARASHI 10-11 TOUR "Scene"〜君と僕の見ている風景〜」の東京初日(11月19日)公演に行きました。

 

 

 

そこで披露された、みんなが大好きな自担のあの曲。

赤い軍服風衣装を見に纏い、踊っている自担を見た私は幼心に

 

「かっこいい(帽子が)」

 

と思って彼のソロ曲を見ておりました。

 

 

 

終演後、私はずっと「あの時の帽子がかっこよかった!!」とずっと母にそこの感想ばかり伝えていたそうです。(母談)

 

その数ヵ月後に発売された国立競技場でのコンサートDVDを見た私は、自担がかぶっていたその帽子の形状が私が見たそれとは若干異なっていた為、「私が好きな帽子じゃない!!」と文句を言っていたのは今でも忘れもしません。

 

 

 

恐らく、根本的なきっかけはそこにあったかと思われます。(まじか)

 

 

 

 

そこから順調に自担道を進むかと思いきや

帽子から沼ったヲタク、そんじょそこらのヲタクとは訳が違います。

 

 

ここからの私のヲタク歴史は

【中学時代前期】

【中学時代後期】

【高校時代前期】

【高校時代後期】

【大学時代】

【現代】

六時代で構成をされております。(ワンチャン身バレ不可避)

 

 

 

 

 

 

 

 

【中学時代前期】

 

当時、Twittermixiに並ぶクラスのヤンチャ生徒が使うイメージを持ち、避けてた私。

(そもそもTwitterの場合は存在すら知らなかった)

 

自分の携帯を手に入れ、家庭内にパソコンが参入されたのち、私はインターネット掲示板にて顔も知らないヲタク達との交流を深めました。

 

 

・めちゃめちゃ山贔屓な小5(のちに買う二匹の猫に「智」と「翔」と名付ける)

・関西在住櫻井担の小5(のちに10年以上の付き合いとなる)

・リーダーポジの小6二宮担

・私(初期は葉担:中学1年)

 

 

ここまで覚えてる私が私は怖いよ

他にも色々仲良くしてたヲタクは沢山居たけど、特に印象が強いのはこのメンバー

 

初めて行くコンサートの前後くらいのタイミングで始めて、

掲示板サイトが潰れる翌年夏くらいまではここで生息してました。

 

 

 

掲示板を始めた数ヵ月後に東北の震災がありました。

 

 

遠く離れた場所で起こる出来事ではあったものの、

「これからどうなるんだろう」と不安だった私にとって、

嵐とそこの子達の存在は凄くありがたかった。

 

 

おまけに、私は学校の中でアイドルにキャーキャーするのが恥ずかしいと思っていたので

ヲタクの友達が元々多くはありませんでした。

なので、顔は見えずとも掲示板の中で、気の合う仲間たちと嵐の話をするのは

当時の私にとって非常に居心地のいいものでした。

 

 

 

そんな感じでネット掲示板にズブズブだった私は、

山贔屓の櫻井担と関西在住の櫻井担の影響を受け、ズブズブに自担に堕ちて行きました。

 

それに加えてその櫻井担達が、はちゃめちゃに貶し愛なヲタクだったため、

その影響を120%に受けた私はもうズブズブに貶しヲタクへと成長してしまいました。

 

 

やれ自担が太いだの

やれ自担がブスだの

やれ自担が(ダンスを)サボってるだの

 

バラエティで見る自担、歌番組で見る自担、

ドラマで見る自担に対して当時思春期真っ只中の私はやんや言っておりました。

 

 

今思えば、

当時30手前と言えども今と比べれば遥かに細いし、

イケメンだし、

ダンスもキレッキレだしで、

お前の目は節穴かと当時の自分をはっ倒したくなるレベルの自担のクオリティなのですが、

 

 

思春期真っ只中。

まるで小学五年の男子児童かの如く、好きな人には優しくできない気恥ずかしさを持っていた私は、自担の悪口を言うことで自分の心の奥底にある「好き」を表現していたように思います。

 

 

 

 

 

 

 

【中学時代後期】

 

ネット掲示板期を経て、中学2年の夏頃に掲示板のサイトが閉鎖。

 

居場所を失った掲示板のヲタク達は、皆でアメーバへ引越しをすることとなりました。

 

 

今はもうあるか分からないけど、アメーバブログで有名なアメーバサイト内では当時、Twitterのような呟きシステムを駆使して、今で言うフォロワーと交流できる場が用意されていました。

 

 

ネット掲示板で行われていた内野的なコミュニティから、

外野のコミュニティも加わることができる環境で起こる変化というのももちろんありました。

 

 

 

とにかくヲタク同士の揉め事に巻き込まれることが増えました

(原因は主に私)

 

ズブズブの櫻井担達にズブズブにされてしまった貶しヲタクな私は、

その場所でも掲示板時代と変わらないコミュニティの中で自担の悪口ばかりを言う日々が続いておりました。

 

 

ネットリテラシーの知識もまだ浅く、いくら仲間内でワイワイやっているだけとはいえ、

公開アカウントで繰り広げるその言葉が他のファンの目に入らないということはありませんでした。

 

 

気が付くと「翔くんの悪口を言わないでください(>_<)」の言葉。

それに反論をする気も無かったし、悪口を言ってしまう私が100悪いのは勿論分かってるんだけど、思春期の私はここでその言葉を飲み込んで、自分の気持ちに素直になって自担のことを愛してあげることは出来ませんでした。

 

 

 

だいたいこの頃から、私の細かい自担への貶しっぷりに、

中学の同級生達からも「(お前葉担ではなく櫻井担なのでは……?)」と思われるようになり、中学二年の冬くらいには周りからは正式に自担のヲタクとして周知されるようになり、私自身も諦めて(?)自担のヲタクを名乗るようになりました。

 

 

 

その頃の1番の思い出は、文化祭前夜の深夜12時頃、塾帰りの友人から私の自宅の近くで自担がドラマ撮影をしているという情報を聞きつけ、学校で仲の良いヲタクの友達(とその母達)と肩身を寄せあって遠くから自担の撮影現場を覗いたことです。

 

自担は全く見えなかったけど、それでもあの時の私は自担と同じ空間に居るって気持ちだけでいつもより少し浮き足立ってたような気がします。

(それを口にすることはなかったけど)

 

 

 

 

【高校時代前期】

 

そして高校生になった私。

アメーバで繋がりのあった友人達とは気付いたら疎遠となっていて。

それでも関西の櫻井担とは手紙だったりメールでのやり取りを続けているものの

 

友達が欲しい

 

そう思った私はいよいよ、不良のたまり場(超偏見)であるTwitterへと進出します。

 

 

アメーバなんかよりも更にグローバルにも広がったTwitterという世界。

もう友達が出来ないわけがない!

おまけに時は2013年下半期。

知ってるヲタクは知ってる、大体のヲタクが「黒歴史」と呼ぶあの時代直前の頃。

 

もう周りには貶しヲタの同志しかおらん!!!!

 

そんなこんなでTwitter界隈での私のヲタクライフはまさにハッピーそのものでした。

 

 

 

それに対してのリアル世界での高校生活。

 

中学時代から「嵐のファンと付き合うんだ!」と謎の野望を掲げていた私。

 

 

 

なんと部活で出会った同級生に同担が居たのです。

もう好きにならない訳がない。(今思えば200%不純)

 

高1の夏頃から私達は何となくお付き合いを始めて、部活の仲間達と一緒にプールに行ったり、人狼大会したり、家に遊びに行ったりしてました。

 

 

 

 

その中で唯一、2人きりでやったこと。

「自担の主演映画を観に行く」

 

 

もう一生忘れん、お昼すぎ位にみなとみらいで待ち合わせをして、

みなとみらいにある映画館に行って、2人の推しである自担の映画を観に行った。

 

それ以降の記憶は全くない!

自担の映画の内容など2割も覚えてない!!

プールで浮き輪に浮かんで飲み物を嗜む自担のシーンくらいしか覚えてない!!

 

楽しかったか楽しくなかったと問われると

なんも覚えてないから楽しくなかったとしか言えない(?)

 

それくらい、淡い恋だったんですはい。

 

 

 

 

 

 

まぁその4ヶ月後くらいに2人は別れるんですけども。

原因は自担。

 

その頃の私も中学時代から何ら変わらず、貶しヲタクを発揮していた為、

それが嫌になった同担の彼は

 

君は本当の翔くんのファンじゃない

 

そう言われて別れを告げられました。

(この言葉は恐らく一生忘れん)

 

 

いや、そもそも「本当の翔くんのファン」って何?

自担のことは全肯定してあげるのが本当のファンで、

私みたいな好きの裏返しみたいな悪口ばっかりな私は本当のファンじゃないの?

こんなに好きなのに?

 

 

彼に振られたことよりも、「本当のファン」について考えて2週間くらい体壊すくらい病んだことを覚えています。

 

 

 

 

【高校生後期】

 

同担との彼とも別れ、その傷も癒えてきた2014年。

 

ついに知ってるヲタクは知っている、嵐ヲタ暗黒期が始まります。

 

 

白塗り自担の加工アイコン

レギュラー番組が放送される度に増えるbot

とにかく止まない櫻井いじり

なりきり

顔真似

声真似

 

 

 

もう全部やり切ったヲタクは「神」と呼ばせてください(?)

若かったね、とも思うし

本当にみんな馬鹿だったね、とも思う

でも本当に楽しかった。

 

 

コンサートに行く度にフォロワーと会って

ちっちゃい規模から、50人以上のでっかい規模の集合写真を撮って。

 

 

今まで「ネットで関わった顔も知らない友達」だったものが、

ネットで知り合った一緒にお出かけもする友達」に変化出来たのはTwitterがあったからこそ。

 

 

Twitterというツールで知り合った友達の家でお泊まり会をしたり、

メンバーの誕生日に集まって本人不在なのにケーキを囲んでお祝いしたり、

ただ渋谷で集まってご飯食べたり、

 

「学校」という集団の中だけでヲタクをしていたら出来なかったようなことが、

沢山できた充実した高校時代だったと思います。

 

 

それこそ、大晦日の日に始発で東京ドームでたった1枚の自Gのうちわを買う為だけに集まって、「そのあと暇だから八潮行こうぜ!」となって八潮団地観光するとかなんて、普通の友達じゃまずしないし、そもそもそんな提案しないよね。

 

 

 

 

【大学時代】

 

 

そのあと、「嵐」が好きすぎて東京ドーム近くの大学に進学した私

(東京ドームを定期圏内にしたかった)

(まじで私の人生の選択の8割があらしのことを思うが故の不純)

 

 

個人的に未だに覚えてるカオスなヲタク場面は、

ワクワク学校の開演中に30ゲート前でヲタク7人くらいでババ抜き大会をしたことですかね。

 

 

ババ抜きに限らず、大富豪にスピードだったり……できる限りのトランプゲームをあの場所で輪になってやっていた記憶があります。

 

何度考えても、中で嵐さんが真面目にヲタク達に「学び」を教えてくれてる外で地べたに座ってトランプ囲んでみんなでババ抜きしてるとかカオスすぎるでしょ……。

 

 

 

大学生となり、20歳も過ぎた頃

ヲタクはいよいよ「」というのを覚え始めます。

 

コンサート終わりの居酒屋の楽しさを知り、とりあえずコンサート終わると呑みに行き、

たとえ会場推しでドームに来ただけでもある程度人数が揃うと呑みに行き、

 

もう嵐に会いに行ってるのか、

ヲタクに会いに行ってるのか、

今はもう分かりませんが気の合うヲタクたちと大好きな5人の話を肴に飲むお酒は本当に楽しいし、美味しかった。

 

 

 

 

そして迎えた2019/1/27

 

父の誕生日を祝うべく訪れたカラオケの席で、スマホを開いて見てしまったあの文字

嵐5人の言葉

その夜のあまりにも前向きな5人の姿

 

あの時の感情はここのブログに書き殴ってるからいつでも見返せるけど、見返さなくてもあの時の気持ちだったり何が起きてどうなったかっていうのはすごく覚えてる。

 

その3日後、たまたま前から会う約束をしてたヲタクとの飲み会では、自分が今まで行ったコンサートとか、観覧の思い出とかの話で盛り上がったけど、誰も未来の話なんかしないし、時たま訪れるお通夜みたいな瞬間は、今ならおもしろ話になるけど、みんな辛かったよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「後悔はしたくない」

その気持ちから、嵐のコンサートに行くときは

この景色を忘れないよう、とにかく目に焼き付けるのに必死になってたし、

猪突猛進タイプな自分の性格を尊重して、当時真っ只中だった就活もすっぱり辞めた。

 

 

今考えてみても、去年の私の行動力はレベチすぎたけど

後悔は何一つしてない。

 

 

 

 

これまでのはてブロでも上げてるけど、

あの時の活動休止の発表がなければ出会わなかったかもしれない友達もいるし

旅行行ったり、飲み会開いたり、大晦日オールしたり

こんなに仲良くなれなかったかもしれない友達もいる。

 

 

 

あの時と変わらず、まだ「あの時活動休止発表があってよかった」とは言えない状況だけど

活動休止の発表がなかったら出来なかったかもしれない思い出が去年はいっぱい出来た。

 

 

 

5×20最終日、色んなことを思い出しながら自担を見ていた。

ファンサこそしないものの、ファンの子の顔をしっかりと見て手を振る自担

ピアノを弾く自担

はち切れんばかりに大きく手を振ってくれる自担

天井ばっかり見てる自担

一人だけソロコンタオルを振って歌う自担

若干遅取りなダンス

とにかく私が見たい自担をとにかく目に焼き付けた

 

 

 

 

その中でふと思い出したのはFace Down見ている時

あれを地上波で最初に披露したのは確かMステ

黒いシャツに黒いパンツというめちゃくちゃシンプルな衣装がとにかく自担に似合っていた

そんな衣装を見に纏い、赤の照明に照らされながら披露される自担のラップ

 

それを見た時、私は初めて自担のことを「かっこいい」と、

しっかり言葉にして発したのを覚えています。

 

かっこいいなと思う場面はそれまでもあったはずなのに、それをきちんと言葉にして声に出すことを恥ずかしいと思っていた思春期時代。

そんな時代に、初めて「かっこいい」と言えたのは、Face Downの自担を見た時でした。

 

 

そんなことを思い出すと、何故だか涙が止まらなくなって。

Face Downというゴリゴリのダンスナンバーで大泣きする厄介ヲタクとなっておりました。

 

 

この人のことをずっと好きでいれてよかった。

とにかくその言葉に尽きるのですが、私の場合本当に長い間思春期の壁によって素直な気持ちを言葉にすることができなかったので、それこそ自担にとっては相当厄介なヲタクだったと思います。

 

でも、私をここまで成長させてくれたのは間違いなく自担。

ありがとう自担。本当に大好きだよ、自担。

そんな気持ちを改めて実感した素敵すぎる2019年の終わりでした。

 

 

 

 

そしてヲタクの悲鳴によって明けた2020年

「明けましておめでとう〜〜〜!!」と本来みんなでめでたく祝う場面が

「ぎゃーーーー!!明けちゃったよおおおおおんうわあああああ!!」から始まる

ある意味楽しい現場からヲタクは始まりました(?)

 

 

 

迎える大学の卒業式は自担色の袴を着て、その帰りには赤城神社に寄り、

自担のうちわを持って東京ドームの22ゲート前で写真を撮るんだ。

 

 

そんなヲタクの小さな夢はコロナによりぶち壊されました。

 

 

 

【現代】

 

 

北京に行く予定だったのに。

なんなら北京に行った翌々週頃に開催されるはずだった

新国立競技場の場所で、ヲタクたちに北京のお土産をばら撒くんだという

プランまで考えていたのに。

 

 

おかしいな、今年で捨てるはずだった海外童貞と国立童貞、まだ嵐にあげられてないや。

 

 

 

「おかしいな」

「こんなはずじゃなかったのにな」

 

 

 

あの時、東京ドームの地で自担が言ってくれた

「もう付いていけないかも、そう思う人がいるかもしれない」

まさにその人間になるとは思ってもみませんでした。

 

 

 

 

冷めたわけじゃないし、降りるつもりも毛等も無い。

ただ、個人的に例年だとよくある嵐以外に興味が湧く上半期の感覚がずっと続いている感じ。

俗にいう現実逃避ってやつだと自分でも思っています。

 

 

 

後ろばかり振り返る自分に対して、

嵐はただ前だけを見てぐんぐん進んでいく。

私はその歩幅に合わせて歩けないでいる感じ。

 

 

 

 

でも、仕事をしていて業界が業界だから、風の噂で流れてくる嵐の話。

「いや、嵐は本当にすごい」

「まさに国民的アイドル、ですね」

職場で聞く嵐に対しての言葉を聞けば聞くほど、

私って今までとんでもない人たちをがむしゃらに応援してきたんだなと思わされました。

なんだか私が誇らしい気持ちになりました。

 

 

 

やっぱり私、嵐を好きでいてよかったな。

仕事をしている中でそう思う場面が何度もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔も今も、私にとって嵐が原点であり、頂点だと思ってるし

自担に対してはこの10年、省エネダンスで腹立つことももちろんあったし

一週間でコロコロ変わる顔面のビジュアルに毎週文句も言ってきたけど

初めて自担のポスターを家に飾るようになった時から、

私の部屋には今も変わらず自担のポスターしかありません。

 

 

これから、どんなに顔面の強い推しが現れても、

高学歴で面白くて、私が世界一好きな松坂桃李の顔面を持つアイドルが現れても

残念ながら自担が一番になってしまうんだと思います。

それくらい、自担に関しては好きとかそういうのを超越した存在です。

 

だって他のアイドルで10枚も全く同じ顔・同じデザインのうちわを買いたいと思わんもん。

自担に至っては買ってタンスの肥しにしてても、

「こんなにあってもあれだし、メルカリに出すか」とも思わんもん。(?)

 

 

 

 

 

この10年、一人の男を愛し続けてしまったヲタクですが

たった一人だけでヲタクをしていたら、間違いなく今私はここにいなかったと思います。

 

私を自担の沼にはめたズブズブの同担はもちろん、

黒歴史時代のヲタク達と出会ってなかったら、今ここまでの交友範囲じゃなかったし

辛い時に支え合うことも出来なかっただろうし、

本当に私は沢山のヲタクに囲まれていたからこそ、自担の魅力に気付けたし

その好きを共有することで、より嵐を、自担のことを好きになれました。

 

 

「翔くんの悪口言わないでくだい(><)」

「君は本当の翔くんのファンじゃない」

そう言った周りのヲタクも含めて、私と出会ってくれてありがとう。

おかげで楽しい10年を過ごすことができました。

 

 

 

 

 

そして自担。

10年前の今日、そして丁度この時間に私は貴方を見て

貴方のことを好きになる鍵を手にいれました。

 

 

私はその鍵の扉を自分で開いたわけじゃないけど、

開いた先で貴方からは沢山の愛を貰いました。

沢山の愛を貰っているのに、本当に長い間素直になれなくてごめんなさい。

 

貴方の発する言葉1つ1つが大好きです。

ファン1人1人を本当に大事にしているところも大好きです。

メンバーを、そして仲間を大切にしてることろも大好きです。

もう挙げるとキリがないので、「自担の好きなところは?」と聞かれたときは

生き方」と答えるようにしています。

 

 

私はたった10年しか貴方のことを見ていないので

まだまだヲタクとして日が浅いですが、とにかく貴方の全てが大好きです。

 

 

 

出会ってくれてありがとう。

貴方のことを見つけさせてくれてありがとう。

この10年間、本当に楽しかったし幸せでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんかお前担降りするんか????

みたいなブログになってきたけど、

ヲタクはまだまだヲタクを辞めることはなさそうです。

 

 

 

だって

「変わらぬ愛を〜〜」って歌うこのままもっとの自担をこの目で見るまでは死ねないし、

PIKA☆NCHIの自担ラップだってまだ一度も生で拝んだことないし、

なんならHip Pop Boogieだってまだ生で見たことないんや!!!!!!

 

いや!なんならまだ国立行ってないし、北京の鳥の巣にも行かせてくれ!!!

 

 

 

そんな感じでまだまだ新規の自担10年選手ヲタク、

自担と叶えたい夢、見たい自担の姿

嵐と叶えたい夢、嵐と共に見たい姿

実現できていないこと、やりたいことが山ほどあります。

 

 

 

そのためにヲタクがこれからできること

とにかく気長に待つ

いつ何が起きてもありったけの財力をぶち込めるように働く、金を貯める

自担の単独仕事の時は貢献をする

もちろん他メンの仕事に対しても貢献をする

健康でいるために運動は欠かさない、よく食べよく寝る

 

 

 

私はやっぱり、アイドルをしている自担が世界で一番大好きなので、

2020年はとにかく見届ける、そして2021年以降はウジウジしないで

いつか来るかもしれないその時のために、とにかく生き続ける。

 

 

とにかく猪突猛進!

私は私らしく、11年目のヲタクライフを私なりに楽しんで行きたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S 自担へ

 

もしこれを読んでいたらいますぐ髪を切ってください。

前髪が邪魔でデコ出しするくらいなら

どうかその髪を切ってくれ。

 

ヲタクより