拝啓
新年も明け、暖冬ともいうことで穏やかな日々が続いておりますが、翔さん及び嵐の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
昨年末の翔さんも、ベストアーティストや紅白歌合戦の司会から、毎週のニュースキャスターにかけて、さらにはコンサートツアーのラストスパートと大変活躍しており、追う側の私たちも大変でしたが、それ以上に翔さんも大変だったことかと思います。
本当にお仕事お疲れ様でした。おかげで、楽しい年末年始を過ごすことが出来ました。
ありがとうございます。
11月3日から今の今までが本当にあっという間でした。年々自分の1日の体感、1ヶ月の体感、さらには1年の体感が短くなってきている気がするのはきっと年のせいですかね。
本当に嵐さん含め、私たちは随分歳をとってしまったようですね。
(まだ20代なのに何を言っているんだ)
あっという間だったのは、本当に毎日が今まで以上に目まぐるしく過ぎていったおかげで。
それはSNSであったり、YouTubeであったりと、嵐さんが始めた「新しい試み」というのが良い働きとなっているからだと思います。
初めは「え、マジでやるの??」と半信半疑で、
周りでも「いやちょっと…」と後ろ向きなファンも居たりしましたが、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と来ると…もう慣れたもんでして。
本当、歳を取るってこういうことですよね。
(まだ言うか)
今まで以上に嵐さん、翔さんのことを近くで感じられる環境ができたなぁと。「新開拓」というものを共に行うことは、今、ここに居ないとできないものなので。
共に、リアルタイムで、大変良い経験をさせて貰っているなぁと感じています。
逆に嵐の皆さん的には今のこの環境をどう感じているのでしょうか?
今まで以上にファンとの心の距離が縮まったように感じるものなのでしょうか?
客観的に周りを見渡すと、今まで繋がることが難しかった世界と繋がれているような気がして嬉しい反面、この近さが逆に嵐さんに迷惑をかけてしまってはいないかと心配な部分もあったりします。
Twitterやインスタグラムっていうのは、「文字制限」という制限された世界でやっていかないといけないのですが、それがどうにも気に食わない私は今日も翔さんへ
の手紙をしたためております。
(にしてもこの紙の厚さはもう少し制限された方がいい)
この手紙は話の8割が昨年の振り返りをつらつら書くこととなるかと思います。
長くなりますが、翔さんの気が少しでも向きましたらぜひ、お付き合いください。
12月、コンサートも大詰めな5×20の東京公演を見させて頂きました。
こんなに長い間同じセトリ、同じ演出を続けるコンサートツアーに参加するのは嵐さんのが生まれてはじめてだったので、
and moreの詳細が発表された時は「いや!長いな!」と思ったものの、ゴール直前まで来ると、とても不思議な感覚になりました。
毎週どこかしらで嵐さんがコンサートされていて。たとえその場所に居なくとも、「今頃あの曲をしているのかな」などと思いを馳せてみたり。
夕食を終え、ひと段落した所で嵐さんの公演後動画を見て「今日も1日お疲れ様でした」と呟いてみたり。
離れてはいるものの近くに感じられる環境のおかげで、このツアーは私の日常の一部となっておりました。
そんなツアーが終わることは、学生生活を終える卒業生の気持ちとどこか似ていて。
明日から今までの日常がなくなる寂しさのようなものを感じながら12月のコンサートに参加させて頂きました。
1曲1曲を噛み締めながらコンサートを見ていると、普段画面越しでコンサートの映像を見ている時には出ることのなかった感情が溢れてまいりました。
その公演で私は2階席のまさに上の方でコンサートを見ていたのですが、やはり、嵐さんの作り出すコンサートの景色は「綺麗」という言葉以上のものは無くて。
序盤のoh Yeah!を聴いている中で、嵐さんの歌声と共に揺れる光の海を見て、
「ああ、本当に綺麗だな」
と感動しておりました。
しかし、「期限」というのが決まっている以上、この景色を見ることにはもう数も、時間だって足りない。
「私はあと何回この景色を見れるのかな」
「またここに帰って来れるのかな」
と不安な気持ちもほんの少しだけ募らせて見ておりました。
私は翔さんのファンですので、嵐5人が好きだと言えど、なんだかんだでコンサート中は翔さんを中心に見ています。
上の方でコンサートに参加していると、翔さんは上の方にいる私たちを盛り上げようと常に上を向き、上に向かって誰よりも声をかけてくれますよね。
それがもう嬉しくて。同時にとても楽しいです。
東京ドームの上の座席に居てもこんなに楽しめてしまうコンサートって、嵐さんの以外にいないのでは?と思ってしまうくらい、嵐のコンサートに参加する「上の方」たちは嵐さんの、翔さんのおかげで楽しく過ごすことができています。
腕がちぎれるんじゃないかってくらいいつも手を振ってくれてありがとうございます。
これからも私たちは腕がちぎれるくらいの勢いで手を振り返せるように頑張りますね。
私がコンサートの中で好きな場面は、翔さんのピアノ演奏と、大野さんのソロダンス後から始まるメドレーの部分です。
自分の体よりも何倍も大きなピアノを弾いている幼い翔さんの写真が、少しずつ今の翔さんに変化していく。
あそこで何故か涙が出てきます。
(完全に気持ちは親そのもの(20代/女性))
もし、あの時進むはずの道を翔さんが進み続けていれば、当然今の翔さんは居なくて。
そして翔さんが居なければ今の嵐の姿も、それに着いていく私たちの姿にも変化があったことかと思います。
「アイドル」という選択をしてくださったから、今の嵐さんがあり、それに着いていく私たちがいます。
あの時、それが正解だったのか分からなかったのに、そもそも今でさえそれが正解だったのか分からないかもしれないのに、「ジャニーズ」「アイドル」という選択をしてくださって本当にありがとうございます。
と、いう気持ちで見ております。
と同時に、毎週生放送のキャスターの仕事に加え、自身のレギュラー番組、嵐のレギュラー番組、その他様々なお仕事を抱えて多忙なはずなのに、
絶対に練習が必要且つその練習も何度も何度も行わないといけない、
きっと手間も時間もかかるはずのピアノを、コンサートで私たちに聴かせるために、演奏してくださってありがとうございます。
私はこのコンサートを通して、さらに翔さんの演奏するピアノが好きになりました。
そしてメドレー部分ですが、あそこにはマジで私の好きな曲しかありません。
もちろん、嵐さんの曲は全て好きですが、マジで秀でて好きな曲たちがあのメドレーには詰め込まれています。
なので、あそこの場面で私が思いを馳せることは必然でした。
小学生の時、私は相葉さんが好きでした。「相葉くん面白い」「相葉くんが好き」と言いつつも、なんとなく。本当になんとなくですが幼心に翔さんのことも若干気
になってはいました。
しかし、クラスにいるいわゆる「櫻井くんのファン」な少女たちを見ると、とても可愛らしい、女の子らしい子たちばかりで。
別に可愛らしくも女の子らしくもなかった私は「相葉くんは好きだけど、櫻井くんは別に好きじゃない!」と何故か強がっていました。
はい、完全に思春期というやつです。
櫻井翔さんイヤイヤ期に突入しつつも、翔さんのことがなんだかんだで気になってしまう中学生の私は、
周りから
「絶対に櫻井くんのことが1番好きでしょ」
と言われるくらい、”何か”がもうバレバレでした。
でも、
「いや!好きじゃない!一番嫌い!」
と強がらせていた私の心をほんの少し溶かしてくれたのが「Face Down」でした。
あの時、あの曲で歌う翔さんを見て、初めて私は翔さんに対して「かっこいい人だ」と素直な気持ちを表に出せたのです。
あそこから私の櫻井翔ファンな人生が始まったようなものです。
そんなことをコンサート中、ましてやコンサートも中盤のFace Down中に思い出して、何故だか涙が止まりませんでした。
コンサートツアーも始まったばかりの時、「シングル曲ばっかりのコンサートだなぁ」と、ネットの情報を見て少しだけ私は不貞腐れていました。
いつも歌番組で歌うシングル曲、コンサートでは絶対に毎回歌うシングル曲、定番中の定番で固められた曲達を嵐さんが歌う20周年のコンサートに、ほんの少しだ
け後ろ向きな気持ちでいた自分がいました。
でも実際、コンサートで同じ時間を過ごす中で分かりました。
メンバーの皆さんはもちろん、聴いている私たちにも、1曲1曲それぞれの思い出があるということを。
アルバム曲にだってそれぞれに思い出はあると思いますが、それとは量も濃さも違くて。
嵐さんとの思い出だったり、一個人としての思い出だったり、様々ではありましたが、曲を聴く中でその思い出ごと振り返ることが出来ました。
こんなコンサートを作れるなんて。
やっぱりすごいな嵐。やっぱりすごいな松本さん。
このコンサートを経て、さらに「嵐」というものが好きになりました。
でも、振り返れば振り返るほど今いる所のその先が怖くもなりました。
こんなに楽しいのに。楽しかったのに。この先はどうなってしまうんだろう。
未来はあるのか、と。
私は、「着いて来て欲しい」と言われて、着いていく覚悟を決めたうちの1人です。
この1年は本当に、色々とあったので。折り返し地点でもうヘトヘトな人もいました。
「もう無理着いていけない」と後ろを向く者も、足を止める者もいました。
そんな友を見て、私もこうなってしまうのかな‥と不安に感じる日もありました。
しかしあの時、あの場所で。
翔さんがくれた言葉を信じて着いて行こうと思います。
私は不器用なので、この先何度も転ぶと思います。
足も止めかけてしまうかもしれません。
でも、翔さんが何度も、何度も言ってくれた言葉を信じたい。
何よりも、「もっとこうしておけばよかった」と後悔したくない。
今は今しかないので、不器用なりに着いて行こう、そう決めました。
いつもいつも、私達に「言葉」を届けてくれてありがとうございます。
翔さんの言葉で救われている人はいます。
私も何度も救われて来ました。
微力ながら、残りの1年。
少しでも嵐さんと共に過ごせるように、
嵐さんの力になれるように。
私も頑張って毎日を生きていこうと思います。
翔さん、コンサート完走本当にお疲れ様でした。
嵐の皆さんが怪我なく、
50公演走り抜けたことに安心と同時に、
「この人たち本当にすごいな」と思うばかりです。
この約1年半、20周年へのカウントダウンから、20周年後のお祝いまで一緒に楽しい時を過ごすことが出来て本当によかったです。
「嵐を好きでいてよかった」
この言葉に尽きます。
そしてこれからも、いつまでも、この言葉を言えますように。
さて、話は変わりますが昨年の大晦日は嵐ファンの友人たちと年越しをしました。
「3、2、1、あけましておめでとうございまーす!」
と本来なるはずの年越しの瞬間が、今年は友人の
「嫌だあああ!」
という悲鳴から始まりました。
改めまして、新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
私はそんな友人たちの姿を笑いながらスマホの動画に収めていた人間でしたが、
「この先、どうなってしまうんだろう」
という不安は私だって日々感じております。
そもそも「この先」を全く考えていないと発言した翔さんのファンである私が、それを想像することなんて不可能に等しいものです。
しかし、先の未来を恐れず。その背中を追って、着いて行こうと思います。
昨年の1年間は悲しいことも、辛いことも、その分嬉しいことも、楽しいこともあった、本当に盛り沢山な年でした。
きっと嵐さんのことですので、今年は昨年を大い
に越える盛り沢山な1年にしてくれることでしょう。
辛いことは後回しにして、
とにかく”今”を楽しみたいと思います。
来年になってしまえば、きっと悲しくなる瞬間が幾度となく来ることかと思います。
だったら、今は笑っていたい。楽しんでいたい。
それこそ。
近い未来にくよくよしないで、遠くの未来を信じて。
共に歩いていきますね。
今年も1年本当に色んなことが起こることかと思います。
止まりかけそうになった時は、翔さんの言葉を思い出します。
必ず着いて来るファンはいます。
私だって着いて行きます。
どうか、着いて行かせてください。
お身体だけは大切に。
ラストイヤー、どうか5人で走りきってください。
私たちもその速さに決して負けません。
大変遅れましたが、櫻井翔さん、38歳のお誕生日おめでとうございます。
出会った時は11歳と26歳。
本当にお互い歳を取りましたね。
ファンの一人として心よりお祝い申し上げます。
思春期真っ只中の小中学生時代。
自身の固定概念の壁によって、翔さんが好きだというのにその気持ちから目を背き、躊躇し、自分の気持ちを素直に表に出せずにいました。
その時のことを考えると、恥ずかしさと共に申し訳なさも感じます。
でもあの時、それでも自分の素直な気持ちから逃げずに、ここまで来れてよかったなと本当に思います。
私にとって嵐さんに出会えたこと、そして翔さんに出会えたことは、私の人生においてかけがえのない宝物です。
本当に、出会えてよかったです。
嵐・櫻井翔としても、櫻井翔自身としても、この1年間がより素晴らしいものになるようお祈りしております。
目先にある5月の新国立競技場でのコンサートや、北京公演、その他まだまだ詳細未定のお知らせたちのどこかで、翔さん、嵐の皆さんと会えることを心待ちにして
おります。
大好きです。
敬具
2020年1月25日